命・記憶・風景を記録する-彫刻家 小曽川瑠那
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透けてなくなりそうな儚さと緻密さを併せ持つ小曽川瑠那さんのガラス彫刻。作品に映しだされる繊細な感受性を、小曽川さんの透明感溢れることばから拾い集めました。
「ガラスを儚い命や記憶を保管するための記録媒体として」
《Reminiscence》
経年劣化しないガラスを儚い命や記憶を保管するための記録媒体と捉え、命・記憶・風景など見えないものや変化していくものを主にガラスで記録しています。
2012年に自然豊かな飛騨高山に移住したことで、風化してゆくものやこと、土地にまつわる記憶の留め方に関心を寄せるようになりました。身近なものごとを拾い上げ、出力の幅を広げながら土地の記憶を記録しています。
「儚く輝く一瞬の命」
花や、植物は儚くて一瞬の命の輝きだと思うのですが、そこに自身の小さな気づきや日々の営みを反映させられたら、とても美しいものができるのでは、と考えています。
20代後半に身近な人が病気になったことで、当たり前の日々がとても大切で重要だということに初めて気づかされました。
その気づきを忘れないように日々の気づきを書き留めるようになって、次にそれらを可視化できないだろうかと考えたことが、私の制作のベースになっています。
「割れることを恐れない」
制作するうえで気をつけていることは、ガラスという素材を大事にしすぎないということ。
割れることを怖がらないということを大切にしています。
ガラスは割れる素材なので、最後まで割れないように作品を完成させるという考え方が一般的だと思うのですが、私は割れたことをポジティブに捉えて、割れたところを活かすようにフォルムを変化させるとか、素材からの言葉を受け取って対話しながら目的地に辿り着きたいと思っています。常識にとらわれない思考でものごとを捉えたいと考えています。
「命の価値を問う」
例えば映画でも本でもニュースでも何でも、見たもの、聞いたこと、感じ取ったものから瞬時にわいたアイデアや感情を書き留めています。
2015年から取り組み始めた「深い静寂」という作品は、自身が病気になり、地方が抱える医療問題に思いを巡らせたことが制作の発端になっていて、そこから日本の社会問題のリサーチを始めて文化や慣習、戦争、公害問題の風化について考えるようになり、当事者が抱える葛藤や状況をどのようなかたちで伝えられるだろうかと思った時に、光を感じない黒い花なのかなと。命の価値を問うというテーマで、キク、ユリ、トルコギキョウをモチーフにした「鎮魂の花」を制作し始めました。
常識って、本当に正しいのかな、誰にでも当てはまるのかなと思うことがあります。自分の眼で見て考えて、そのこたえを見つけたい。それが私がものをつくる所以なのだと思っています。自由の定義は難しいけれど、美術の世界が自由な世界であってほしいし、そういう世界があってもいいんじゃないかな。
《Memory of Scenery》
息の形、命の痕跡を残していくというテーマの作品
自身で草木染した糸で吊られ、制作年が記されたガラスの中には、その年のたんぽぽやムスカリの種とともに、その時の息吹が残されている
儚い命・記憶・風景など、小曽川さんが感じ取った見えないものや変化していくものは、経年で劣化しないガラスという記録媒体に保管する作業を通し、小曽川さんの内なる光を纏い、普遍的な形あるものとなって表れます。
作品に向き合っていると、生命の静かな呼吸が聞こえてくるようです。